第5回「白秋をよむ」リポート ―『桐の花』(5)―
日時 2014年12月21日10~12時
会場 フォーラム南太田
出席者 千、鳩虫、鷺成(敬称略)
春を待つ間
Ⅰ 冬のさきがけ
一
ふくらなる羽毛襟巻(ボア)のにほひを新らしむ十一月の朝のあひびき
千:私はもともとルビに抵抗があったが「羽毛襟巻」に「ボア」というルビを当てるのは気にならない。「にほひ」が平仮名なのは、「ボア」が片仮名だからか。
鷺成:釈超空に「葛の花踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり」という歌がある。「新しい」は、もともと「そのままにしておくには惜しい」とか「そのものにふさわしい扱いをしないのは惜しい」という意味。新しい言葉遣い。
いと長き街(まち)のはづれの君が住む三丁目より冬は来にけむ
千:「長い」という形容の仕方がうまい。どんな街だろう。
鷺成:後朝文化のなごり?
いちはやく冬のマントをひきまはし銀座いそげばふる霙(みぞれ)かな
鷺成:なんてことない歌だが、ダンディズムを感じる。「ひきまはし」というのはマントを体に巻きつけるということか。
霊(たましひ)の薄き瞳を見るごとし時雨の朝の小さき自鳴鐘(めざまし)
鷺成:「霊の薄き瞳」は、薄い、目の形を思わせる。この前後に、恋の歌・雨の歌がある。次の「なつかしき憎き女のうしろでをほのかに見せて雨のふりいづ」は、「雨」が共通している。
鳩虫:「霊の薄き瞳」は、心ここにあらず、の、ぼんやりした目。朝の目覚まし時計が、そんなふうにぼんやりしているように感じられるということか。女の人のことをうたわずに、女の人の姿を感じさせたかったのか。
煙草入の銀のかな具のつめたさがいとど身に染むパチとならせど
鳩虫:「煙草入の銀のかな具」。物に託している。フェティッシュ。
歇私的里(ヒステリー)の冬の発作のさみしさのうす雪となりふる雨となり
千:(描写対象から距離を置き)引いた目で見ている歌が多いなかで、この歌は実感から来ている。「歇私的里」は「白き露台」にも登場する(「春はもや静こころなし歇私的里の人妻の面(かほ)のさみしきがほど」)。
文責:鳩虫